おはなうえるくまらいふ

くま系ランドスケープデザイナーからみた日々の雑感と、現場、旅行先、出張先で出会ったもの。とにかく、どうでもいいけど聞いて欲しいこと。

“おはなうえるくまらいふ”

けっこう赤裸々な自己紹介を書いてみました

今週のお題「自己紹介」 はい!こんにちは、今回はこのブログのはてなブログさんのお題をやって読者を増やそうという魂胆です。読者ボタン押してね!! では、

長いよ!

仮死状態で生まれる

 記憶には全然ないのですが(当たり前か)、語られていることを書こうかと思います。1982年の1月22日金沢市の某総合病院の産婦人科にて生まれるのですが、へその緒を首に巻いて生まれて、首を吊っているものだから仮死状態で生まれました。生まれて来て最初の「オギャー」がない赤ちゃんだったようです。当時にしては最新の赤ちゃん用のMRIのある病院であったために助かったとのこと。

 親や親戚が騒然としました。

兼六園が好き

 そんな困難を乗り切り、赤ちゃんライフを満喫します。

 万が一脳内をやっていたら、幼稚園、小学生になった時に発覚するでしょうとのことを気にして育てられました。

 そうなりますよね。知的障害の可能性があるって話です。

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 そんなことは全然関係なく兼六園に行くと元気になる子供だったようです。

人見知りすぎる

 月日は流れて幼稚園などにはいるのですが、みんなに馴染めません。ここら辺から記憶がちゃんとあります。

先生を信じない

 小学生に上がると、お友達もできるようになるのですが。先生の言っていることは鼻っから信じていませんでした。まず、文字を覚えたら文字の制限の中でしかコミュニケーションが取れないなんて思っていました。また算数は算数の字の意味がわかっていませんでした。「10進法、12進法、60進法くそったれ」みたいな子供です。

 そんなこんなで、文字を覚えない、時計よめない。鏡字ってことで両親や先生は「やっぱり、、、」オーラがだんだんでて来ます。

3回のオファー

 オファーって書くとなんだかポジティブに聞こえるかもしれませんが養護学級のお勧めを学校側はして来ました。

北海道に移る

 おそらく当時、父母はそんな子を、競争の激しい本州で育てるよりも北海道でのびのび育てたくなったのでしょう、北海道に転勤願いを出して、すんなりその父母の故郷でもあった北海道に引っ越しました。父はその頃、バブルの中の金融関係だったのでイケイケだったに違いありません。子供から見てもイケイケでした。

北海道マジ、パラダイス

 北海道の小学校は、来た途端に優秀な生徒の扱いでした。まだ先生を信じていませんでしたが。

中坊で一旦しくじる

 いきなり北海道に来て、問題児から優秀に転じたので怠けました。一切勉強をしないでプラモを作ったり、谷川俊太郎詩集ばかり読む、まさにリアルな中二病を患いました。

全国的にみて底辺に近い高校に

 そんなに怠けていたのだから高校だって、良い場所に行けません。自宅から歩いて10分の場所に一番優秀な高校があったのですが、それとは逆の方向の隣町の高校に行くことになりました。

短大を受験

 漠然と公園のデザインの仕事がしたいななんて思ったのですが、高校の先生に言っても「ランドスケープデザイン」の意味がわかってもらえません。とりあえずそっちの名門の千葉大には入れそうにないし、東京農大はピンと来なくって同じ北海道の中にあった専修大学北海道短期大学に推薦で入りました。

 推薦で入ったてのがミソで、ここでもやっぱり勉強に興味がなくって楽して入れる場所を選んだんです。

 あ、ちなみに柔道部に誘われて入ったのですが、痛いの嫌いだし人を投げるのも嫌いなので後々に幽霊部員になりました。そこで幽霊部員のまま華道部に入りました。ズルいんですが、部活二つやってるって推薦によかったみたいでした。

夢ばっかり大きい

 短大に入ったら興味のある植物の話、環境の話ばかりなので一気に成績が上がって、父がびっくりして、連絡が入ったのを憶えています。

 高校の勉強はしなかったもののその時間を使って、植物の勉強や、公園、建築の勉強はしていたので楽勝だったんですよね。

 ですが、改めて現実を知ります。千葉大レベルでないと公園のデザイナーになれないってことを。

 でも夢ばっかり大きくてそこに響いたのが安藤忠雄さんの本でした。安藤先生は言うんです「僕はねー高卒なもんで、がっこうの勉強なんて、、、」みたいな。

建築を語る

建築を語る

建築に夢をみた (NHKライブラリー)

建築に夢をみた (NHKライブラリー)

 「世界中を旅してやろう」なんて思ったんです。

 その短大の1年生の春休みにひとまず、テントを担いで日本をめぐる旅行をしました。建築と美術とランドスケープ(デザイン)見ることを目的としました。移動手段は青春18切符を使いました。

放浪諦めて

 「世界中を旅してやろう」なんて思ったんです。

 諦めました。「一旦就職しよう」って大人たちの言葉に魔が差して、また放浪するのをビビって普通に就職しました。

北海道の老舗

 植木の世界にも北海道の老舗ってのがあるもんで、そんなこと知らなかったのですが、その会社に入社しました。本当は難関なんで、こんなことを書くとボコられるんですが、この記事は全く知らない人が読むってペルソナ設定なので、こう書きました。そこで憧れの公園のお仕事に就くことができました、ですがデザインではなくて工事監理の仕事でした。

 バブル崩壊の波もどん底ぐらいの時期で、設計部のある会社でしたがそちらには行けませんでした。

人生迷って花屋

 「こんなん僕のやりたいことじゃない!」なんて生意気にも思って花屋に転職しました。なんで花屋なのかというと北海道に家族が引っ越してから母が生花店を細々とやっていたので、なんとなく興味の範囲で入ってみました。覚悟が足りなくてごめんなさい。

 そしたらすんごいブラックでやんの。

「あああ、僕って守られて生きて来ました。」てのを実感しました。3時まで働いて6時出勤みたいな(そのお花やさんって、今はそんな環境ではないです。)

 ドイツの先生には、ドイツに来ないかって話もあったようですが。 大人の事情でそうもなりませんでした。

先輩にひろわれて

 そんな状況を知った短大の先輩が救ってくれました。当時成長真っ只中の園芸とガーデンデザインのお店に引いてくれました。しかも花屋から見たら1.5倍以上の高額保証です。

『みんな、先輩を大事にしてね』

 そこの社長と先輩は生意気でどうしようもない僕を「才能がある」と見込んでくれてたくさんの仕事を経験させてくれました。

父と母の病気

 楽しく仕事をしていたものの、父が癌に、母が原因のわからない体調不良で入退院を繰り返すようになって、里心がついてしまい地元に帰りました。仕事は母の生花店に入りました。

生花店の売り上げが

 家業に入って、3年の間に売り上げが1/3になり、母が食べるだけでも苦しくなりました。そこで自分なりに奮起し、朝は新聞配達を行いその足でお花の市場に行き、暇な時間を見ては植木の剪定などの仕事を自分なりに取っていました。

足首の骨折

 そんな無理をしたものだから、転んだだけで骨折をしました。3ヶ月間入院生活でした。足を骨折している間に、HTMLとワードプレスの勉強をしました。

宿泊事業の失敗

 なんとかしなければならなくて母の方がメインで宿泊事業を行いましたが、なんと別の世界の人のマトになってしまって余計に借金を増やしてしまいました。

ちゃんと自分たちの事業を頑張る

 そこで、思ったのが「自分の事業の足元をしっかり整えないとダメ」ってことです。各種事業に手を伸ばしたものの、花一本に縛りました。震災のあたりの話です。インターネットの生花店に登録して、一度生花店として失った信用をなんとか取り戻そうと頑張りました。

 そんなことをしている間に、そのインターネットサービスで北海道エリアの上位に常連となり。母の日のカーネーションの鉢花を真面目に売ったら全国一位になってしまいました。

表彰されるはずが欠席

 そんなことは知らずに、暇つぶしのお庭の仕事がだんだんと膨れ上がって来て、お庭の分野で独立することに地元のコンサルさんと相談してなりました。なので全国一位の担当者が表彰式には、独立していて欠席という沙汰です。

 独立には父の死もありました。父ってイケイケの高収入だったので、父が生きている間はなんぼでも甘えられる意識があったのですが、その後ろ盾を失ったような気がして自分で奮起した部分があります。当時、普通に就職してサラリーマンでは返せない量の借金がありました。

コンペに挑戦して2位

 お庭の仕事をはじめて次の年に、なんとかしなければと思いコンペに挑戦します。で全国2位をいただきました。でも借金を100万円ほど増やしました。

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結婚

 そのころ、お付き合いしている人と結婚し、家を建て(奥様名義)ました。

やっぱりデザインがしたい

 デザインコンペで入賞したものの、やっぱりデザインの勉強を深めたいと思って京都の通信の大学に入りました。経済的な部分と時間の部分でジャスト2年で大卒の資格をもらいました。

大学院留学を目指す

 最終的にはランドスケープアーキテクトの仕事がしたくなり、それをするには日本の大学院を出た学位では難しく、海外の大学院を目指すようになります。

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離婚

 結婚しているのにも関わらず、まだまだ勉強したいなんて、そんなピーターパン症候群なので家出をしました。

 それには、それ相応の代償がつきますので600万円ほど借金を増やしました。

 いろいろ人生設計するにあたり「ライフ・シフト」は読んでいた方がいいかと思います。僕は離婚後に読みました、離婚はしないに越したことはありません。

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さいごに

 と、まぁ浮き沈みの激しい36歳ですが、なんとか生きて、後押ししてくださる方にも恵まれて、仕事もいただいております。

 これまで弁護士さんにお世話になったのは4回ほど、ちょっと自虐ネタにしています。そこで尊敬している弁護士先生が言っていた言葉があります。

 「挑戦する人は、どこかで訴えられたり、ぶつかったりします」

 それを言っていただけた時は心が楽になりました。僕自身が社会不適合者なのではないのかと思っている部分もあったので(幼少期の経験を踏まえて)でも、そんな人たちが世の中を変えているのかも知れないなんて思うと、自分はある意味ラッキーな存在だって思うこともできます。落ちても命まで落としていないので。

 憧れのファイナンシャルプランナーさんも言っておりました。

 「借金の返し方を知らないで自滅する人が多い」

 とそんな言葉と、教えをいただきました。図太さと、根性と、少しのお金の知恵でけっこう乗り越えられるらしいです。

 人それぞれ大変な思いをして生きているかと思います。僕は僕のことを恵まれていると思っているので、大変だと思ったことはあとから考えればありません。やばい状況の時は、真剣に悩んで考えていますが。終わって仕舞えばあとの祭りなのです。

 SNSの方では、バカをやったり、B級グルメ遊びをしていてそこだけを見られて「なんにも知らない、家も建てたことがない、美味しいものを知らないバカ」って他の人に罵られたことがあります。ですが、家も建てたことがあって、訴えられたこともあって、小さい頃から懐石なんかも経験あって結構バブルチャンボツなんですよね。

 とまぁ、こんなところで現在の部分まで来たので自己紹介を締めようかと思います。

 最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。

 したっけ!また。