おはなうえるくまらいふ

柏倉一統のブログ、くま系ランドスケープデザイナーからみた日々の雑感と、現場、旅行先、出張先で出会ったもの。とにかく、どうでもいいけど聞いて欲しいこと。

“おはなうえるくまらいふ”

気が付ける人になりたい

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こんにちは、いつもありがとうございます。上の写真は4月のバーミンガムのカテドラルに咲いていたリンゴの仲間の木です。このブログにはあまり関係ありません。

今日は、なんだか書きたい気持ちになってしまいました。ただ単純に書きたい気持ちだけで書くので取り止めのない記事になってしまって、日記にすらならないようなブログになってしまいます。 ` これも、自分の表現として、なんだかいいのかもしれません。

現在、インターネットにあげる記事は「人の役に立つ情報だけにしよう」という風潮がありますが、でも本当に欲しいものって人は知りません。

僕も、そういう経験があります。

その需要の真相すら突いた記事が書ければいいのかもしれませんが、キーワード検索が軸になっているので、そのキーワードが出て来なければ基本的にはそこにはたどり着けない構造な気もしています。

そこを引っ張りだしてくれるのが人だったり、プロの仕事のような気がしています。

このインターネットの検索するプログラムも人の作ったものですが、なんせこういったものを作れるのは一部の頭のいい人達の頭の中の構造でできています。

だから、そこに至らない私のような人の持ち抱えている問題を気がつけないことって、あるような気がしてなりません。

結局、何が言いたいかというと。

それは、人の役に立つことってその人の欲しいものの裏側にあったりして、それをも考えて記事を書くのは、僕のようなまだ始めたばかりの人には難しい問題ですって話です。

つまるところは、、。

検索に引っかからない記事を書いたところで、どうしようもないのですが。

そんな、どうしようもないことにセレンディピティを感じてしまうことってあるんです。

セレンディピティって、一般的にも最近使われるようになったように感じます。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。 *1

僕が、何それって思ったのはアートの勉強をしている時でした。

例えば「朝、家を出て会社や学校に行くのに急いでいたところ、いつもない石につまづいて転びそうになった、だけど目の前のタンポポがその振動で、綿毛が飛んでいった」みたいな話であったり。

探すと見つからないもの、気がつくもの。紙の新聞を広げた時に株価が気になっていたのに壺の特集に目が移ってしまったみたいな。

そんな現象ってありますよね。

インターネットの検索がメインだと、なかなかそこにはたどり着けない。

人と人との会話であったら脱線した方向に答えが眠っていたりするもの。

私たちの世界は、ツリーの構造のように整理されているようで、本当はそのような構造はしていない。

だいぶ前に講習会でこんな話をしたことがありました。

まず、質問から始まります。

「昨日から今日、植物を触った方はいますか?」

もちろん全員、答えはNO。

静まりかえります。

僕は、これが不思議でなりません。

なぜかというと。

  1. 昨日のあなたが食べたお米は、植物です。

  2. 今朝、あなたが食べたベーグルは麦といった植物です。もしかしたら、レタスが挟んであったららアブラナ科のレタスにも触れました。

  3. いいや、全く食べていないといっても、テーブル、椅子、ドア、すべたが金属やガラス、プラスティックで揃えない限り、木という植物に触れています。

  4. コットンのシャツを着ているのなら、あなたは植物の繊維に囲まれています。

意外にも私たちの生活には植物がなくてはならないのです、それが食べ物であったり、衣類であったり、薬であったり、石油なんかも一部は植物。

これを主張すると、そっちはダメ。そんな二極化の答えはありません。 それも、ツリー構造で考えているからなのです。先日、日本では選挙がありました。それぞれの党、候補者の意見をまとめて、あみだくじのように誰に投票すればいいのかを表した表を作ってくれる人もインターネットの中にはいて、それも大変便利でありがたく投票の基礎にはなるのですが、その候補者の背景なんかも視野に入れて考える必要があったりするのではないのかなとも思います。

だから、あれやこれにYESかNOであっちいったり、こっちいったり。

それは、ただの二極化です。

私達の本来持っている能力の20%も使っていません。

考えないことが楽なのですが、頭の片隅に入れて答えを待つことも考えていることになります。

それでも、いいと思えたら少し肩の力が抜けませんか?

ここ最近の私たちの生活では、全然いらない情報に溢れかえってそれを整理するのにキャパシティを使い切ってしまって疲れてしまっています。

僕もなるべく、気をつけて生活をするようにしています。

今朝打ち合わせにいった、会計事務所の駐車場のあるファルとの割れ目に不思議なものを見ました。

それは、僕の心の中の現象なので割愛します。

では、したっけ!

*1:https://ja.wikipedia.org/wiki/セレンディピティ